日本の歴史をたどると外国文化の理解をめざし、輸入につとめた時代がありました。それらを大切にし、融合をはかるなかで独自の文化を創造しようとした時代もありました。その交流の過程で日本は世界から高く評価されてきました。1912年7月、明治天皇がなくなり大正時代がはじまりました。国民は、新時代に政治・社会の変革を期待しました。韓国併合後、陸軍は新たに2個師団を朝鮮におこうと計画しました。しかし、財政の悪化により苦しんでいた第2次西園寺公望内閣は、これを認めませんでした。このとき陸軍大臣は単独で天皇に辞表を提出し、陸軍は後任の大臣を推薦しなかったため、軍部大臣現役武官制により内閣は総辞職に追いこまれました。このあと内大臣であった桂太郎が組閣にとりかかると、政党や言論界などはこれを政府や陸軍に影響力を持つ藩閥勢力の横暴だとして、内閣打倒の国民運動をおこしました。これを第一次護憲運動とよびます。桂太郎は議会と世論の攻撃をおさえることができず、1913年に民衆が議会を包囲するなか、在職わずか50日余で退陣しました。次の山本権兵衛内閣も、海軍の汚職事件をきっかけに群衆が議会を包囲する事態となって総辞職するなど、民衆の政治への関心はより高まっていきました。このような状況のなかで、元老は民衆に人気のある大隈重信を首相に推薦しました。

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